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大志塾コラム

大願成就を願う経営者に大志塾が伝えたいこと

4.経営者としての働き方

大志塾コラム「4.経営者としての働き方」

自らの役目を知って、積極果敢に人生を過せ

人は、守りに入ると弱くなる。臆病になり、頭の働きが悪くなる。
それは失うものを恐れる余りに、自分(あるいは自分の会社)のことばかりを思うようになるからだ。
そして失うまい、減らすまいとそのことばかり思って、その結果、気がついてみたら時代に取り残されていたということが起こる。
時代は、常に動いている。
同じところでの現状維持を望むのは、かえって衰退に繋がることを知るべきだ。
自分だけのことを思って、殻にこもっていては世の中のことは見えない。

昔から、攻撃は最大の防御なりと言われているが、人生、守りに徹しても一生。積極果敢に過ごしても一生だ。

同じ過ごすならば、積極果敢に「今の時代には、何が必要なのか」
そして「自分に出来ることは、何か」と目を向け、行動すべきだ。

役目があって人は生かされている。
そして不要な人など一人もいないのだ。
ただ現代人は、その役目を知ることなく、良いとして暮らしているに過ぎない。
世の中の仕事には、大きな役目もあれば、ねじ釘一つのような小さな役目もある。
大事なことは、役目の大小ではない。
どれだけその役目を全うしたかでその評価は決まるのだ。

しかしその前に、自分の仕事はどんな役目を持っているのかを知らなければ、道をそれたことにすら気がつかないのではないだろうか。

人生、全力疾走するにも、方向違いに走ったのでは意味がない。
完全燃焼の人生を送るためには、走る方向も見極めなければならない。
走る方向が見えたら、あとは失うことを恐れず、積極果敢に進もう。

経営者の眼を開く一番の秘訣

同じものを見ても、同じ話を聞いても、人によって見え方や感じ方はすべて異なる。
「心ここに在らざれば、見るものも見えず、聞くものも聞こえず」
と昔から言われているが、なぜこんな差が出るのだろうか。

それは俗にいう頭がいいとか、悪いとかの差ではない。
その人がどんな目的を持って、物ごとを見ているかの差である。
ただ漫然と物事を眺め、日々を過ごしているのは、電車の窓から通り過ぎていく景色を見ているに過ぎない。

まずは自分の目を開くことである。
活眼を開くというが、その一番の秘訣は
「何の為に、それを行うか」という目的意識を持っているかどうかである。
その目的次第で、同じものを見ても、見え方、感じ方は変わってくる。

そして最も大切なことは、それを実際に行うことである。
どんなにいい考えであっても、行わなければ絵に描いた餅にもならない。
実践の中から学ぶものが多いことを知るべきである。
このことも実践の体験の中からこそ会得するのである。

トップに登りつめた人たちの駆け上がり方

目標は、高く、しかし行動は、目の前の階段を上るが如くに、一段ずつ上ることが大切だ。そしてそのステージでのトップを取っていこう。

豊臣秀吉のたとえになるが、秀吉は、織田信長のぞうり取りから、階段を駆け上るように出世し、後に太閤様と呼ばれるまでに上り詰めた。

その過程で、ぞうり取りの時には、ぞうり取りとしてのトップを、足軽の時には、足軽としてのトップを目指して進んでいったエピソードは多い。

ぞうり取りの時には、屋外でぞうりをそろえるのが役目だったが、ただそろえたのではなく、寒い日など自分の懐に泥のついたぞうりを入れて、暖めておいてそろえたという。

また三日間で城の壁の修復をした話や、誰にも造れなかった一夜城を作って敵を攻撃する足がかりにしたという話などは有名である。

どれもその時々の自分の役職でトップを取り、階段を上っていった。
人は今の立場や役職が自分の思うものでないと、軽く考えたり、腐ったりしがちだ。
しかし、そうした時にどう思うか、そこをどう工夫をするか、どう過ごすかで、次の人生が決まるのだ。

学ぶべきは、上った結果ではなく、その途中の階段での過ごし方だ。
その一つ一つが大事な足固めになっていくのだ。

たとえ一人の賛成者がいなくても…

新しい物事を進めるときに、全員がすんなり賛成できるもので、大きな成功を収めることはまずない。
それは誰もが思いつくことであって、大きな成功の種ではないからだ。

今までの成功者を見てみれば分かる。
歴史上でも武将の決断の中には、足軽はおろか側近の武将ですら思いつかないこと、時には仰天するようなことがある。

社長は、時には社内に一人の賛成者がいなくても、必要とあれば前に踏み出す勇気も必要となる。
しかし、それはただの思いつきや、無謀な計画をさしているのではない。
重役をも含め、他の誰もが受け取ることが出来ないヒラメキと、信念が必要だ。

あなたの仕事が無ければ、世の中はどうなるか?

自分の仕事の本当の役目を知ることは、意外に大切なことだ。
自分の仕事の役目がわからないときには
「自分の仕事がなかったとしたら、世の中はどうなるか?」と考えてほしい。
たとえばごみの清掃車の人、毎週ごみを集めに来ることがなくなったらどうなるか・・・。
なんでもないことの様でも、大問題だ。
3Kなどと言われ、一見きれいでない、そしてかっこよく見えない仕事が、
なくてはならない大事な役目を持っている。

反対に、サスペンスなどのテレビドラマがなかったとしたら・・どうなったであろうか? 今は、信じられないほど連日殺人事件が報道されている。
大人だけでなく小学生までもが、簡単に友達をナイフで殺してしまう時代になってしまった。
連日のサスペンスドラマ、殺人ドラマが、人の心に何らかの影響を与えていることは間違いない。
殺人教科書がなくなったら・・今起きている悲劇の何分の一かは、なくなるのではないだろうか。

あなたは、「自分の仕事がなかったとしたら・・」と見直したとき、どうだったろうか?
無くなって世の中が困るものであれば、どんなに地味なものであっても、 誇りを持ってよいと思う。
しかし無くなったほうがいいものだとしたら・・どう方向転換すべきか、考えてほしい。

たとえば、サスペンスドラマの製作者であれば、人の心を和ませる、家族の絆のようなドラマを作ることを考えてはどうだろうか。
今、人の心がすさみ、母の愛も知らないで育った人が増えている。
家族のぬくもりも知らず、心をこごえさせている人が多い中、ドラマという架空の中だけでも、家族の暖かさがあってもいいのではないだろうか。

「自分の仕事が、なかったとしたら世の中はどうなるか?」
その答えの中に、自分の仕事の大事な役目がある。
自分が何を大切に仕事をすべきか、自ずと見えてくるだろう。

逆風に踏み出してこそ、起死回生の力と出会うことが出る

新しく物事を動かす時には、はじめの力が最も大切であり、そして大きな力が必要である。
実際に動きが起きたときには、色々なところから協力の手も挙がれば、力も貸してくれるだろう。
しかし、はじめから人頼みにしては、何一つ物事は動かない。

「他力本願」という言葉があるが、物事を動かすはじめには、役に立たない言葉であることを知るべきだ。

「自分一人でも行う」、そのくらいの覚悟で、はじめは流れを変えていくことが大切だ。
まず何を変えようとしているのか、どう変えようとしているのか、これを明確にすることだ。
人にではない。自分自身に対してである。

物事を正そうとする時、何らかの改革をなそうとする時には、必ず反対するものにぶち当たる。
追い風に乗ったり、潮の流れに乗って前に進むのと比べ、はじめは潮に逆らって進むような、漕いでも、漕いでも前にいかないもどかしさがある。

しかし、今ある流れを変えようとするから改革なのだ。
今の流れに流されるのでよければ、改革の必要もなければ、変化も生まれない。

個々の業種や、個別の動きで見れば、その時の流れに乗っていてより飛躍と発展につなげることも大切であり、可能である。
しかし世の中全体としてみたときには、むしろ流れにのって進むことは大変に危険であることを、肝に銘ずるべきだ。

どこかで踏みとどまる。見つめなおす。
そして何が必要か、何をしなければならないのかが見えてきたとき、ためらうことなく前に進む勇気が必要ではないだろうか。

逆風を突いても前に進む。
今は、その時なのだ。はじめは困難なように見えても、まず一歩踏み出すべきである。
踏み出してこそ、起死回生の力と出会うことも出来るのだ。

仕事は出し切った時に、新たなものが必ず入ってくる。

人は生まれてくるときに、「おぎゃあ」という産声を発する。
そして「産声を発した子は、大丈夫だ」と言われている。
このこと自体が、人生そのものをあらわしているのだ。
最後に旅立つときは、「息を引き取る」と言って、『こくっ』と吸って終わるのである。
したがって、呼吸は『吸う』ことよりも、『吐く』ことが大切なのである。
これは人生にも当てはまる。
「まず自分が人のためにしなさい。そうすれば人様からもしてもらえる」
「ギブアンドテイク」であって、決して「テイクアンドギブ」ではない。

実際の呼吸においても、「吐ききったら、自然に新しい空気が入ってくる」と言われている。
まさにそのとおりなのだ。

しかし、実際に『吐き切る』ことは、意外に難しいものである。
やってみればわかるが、吐いても吐いても、まだどこからか空気が自分の中に入ってきて、身体のどこかに残っている感じがするものだ。

これは緊急に備えるための身体のもつ仕組みらしく、吐ききったと思っても、肺の中にはまだ何割かの空気が残されるように出来ているのだそうだ。

吐いて、吐いて、「もう駄目だ」というところに来ても、まだ吐ける。
さらに「もう駄目か」というところに来てもまだ空気が残っている。

経営で追い詰められてくると、どうしても相手の入金を「まだか、まだか」とせかされる思いになる。
もちろん現金化できるのが早いほうがよいが、その前に自分の仕事として、今日を、今週を、そして今月をやりきることである。
つまり吐ききるほどに、仕事の中身として、「出し切る」ことに意を用いてはいかがだろうか。
仕事の中身・工夫・そして誠意、時間の使い方等・・・。

やりきりもしないで、「駄目だ」、「不景気だ」と人のせいにしていても、新しい空気は入ってこない。
息を吸うのは、自分自身なのだ。
社会のために、国家のために、吐ききってみてはどうだろうか。
仕事として「やりきって」いくとき、新しい空気、新しい力は、必ず入ってくる。

人が何倍もの力を出せる瞬間

仕事の性質によっては、一人でしなければならない仕事もあるが、人と組んで仕事をするときに、如何したら互いの力をより引き出し、出来れば倍化させることが出来るだろうか?
豊臣秀吉のエピソードを紹介したい。
ご存知かと思うが、お城の壁の修理を三日間で行った有名な話だ。
当時は戦国時代、日々を戦に明け、戦に暮れていた時代だ。
そんなときに壊れた城の壁をそのままにしておくことは、即、敵に城を破られることにも繋がり、明日の命も保障されないことになるのだ。

そのときに修理に当たっていた奉行は、敵の回し者で、なるべく修理を長引かせるように命じられており、数週間たってもほとんど壁の工事は進展をしていなかった。

秀吉は、それを見抜いて奉行にけんかを売った上、城主の織田信長に「自分なら、三日間で成し遂げます」と言い切り、出来ないときには「腹を切る」とまで断言してしまう。

秀吉は、後に関白とも太閤殿下とも言われるほどに出世するが、当時は皆から「サル」と呼ばれ、工事の棟梁や人足までも
「こんなヤツの下で働けるか」と、サボタージュを決め込もうとしていた。
秀吉は、皆を集め「おまえたちは、ただ他人の城の壁を塗っていると思うだろうが、
そうではない。この国の守りを築いているんだぞ」と話し、
さらに「今、暮らしていかれるのも、城主様がいて、
国を守ってくれているからだ。
城を他の国に奪われ、国が無くなったときには、民は家を焼かれて、
さまよわなければならないことになる。
自分はそうした人たちをたくさん見てきた。
皆の仕事は、その城の大事な守りを築いているのだぞ」と伝えた。
敵の回し者の奉行から金をもらい、
秀吉の失敗を高みの見物で見てやろうとしていた棟梁たちも、
目を開かれ、その後は夜も寝ないで、一世一代の仕事を皆で成し遂げたという。
三日間でそれを成し遂げたのは、単なる利害ではない。
もっと人を動かす琴線に触れたからではないだろうか?

この仕事の持つ意味、自分たちが働くことによって成し遂げられるものは、使命感に火がついたときに、人は何倍もの力を出せるのだ。
この話は、現代にも通じるのではないか?

経営者は、常にそうした使命感を持たせることに意を用い、働く者もまた使命感に燃えて日々を過すことに心がけると、生甲斐や遣り甲斐に繋がるのではないか。
その結果、企業の繁栄に繋がり、国家の繁栄にも繋がるであろう。

仕事の積み残しを片付け、一日を効率的に使う秘訣

今日する仕事は、明日に持ち越さないことが大事であるが、残念ながら仕事でも片付けでも、押せ押せで溜まってしまうことがある。
ちょうど毎日の新聞、その日の分だけ見たり、持って歩くのは持っていることすら気にならないが、それが一週間、一ヶ月と溜まるとそれを見るのも大変、まして持って歩くなどその重みだけで動きまで制限されてしまう。
そんな状態になっていることがある。

それでは益々仕事の効率は悪くなり、自分で自分の首を絞めてしまうことになりかねないが、そういう積み残しがある場合には、一度にすべてを行おうとせず、いったん今までのものを脇におき、現段階からの出発に切り替えて進む割り切りも大事だ。
そして、そこからのことを完全に実行することに努め、それが出来るようになってから、少しずつ遡って以前の遅れを取り戻すようにすればよい。
今どうしても手がけなければならない仕事と、いったん新聞を横に置くように脇における仕事を分けるだけでも、仕事の効率は変わるのではないだろうか。

理想的には、明日一番でする仕事のみを机の上に出して他はすべて片付けていく。
そして朝すぐに取りかかれるようにしておくことが、一日を効率的に使う秘訣でもある。
整理整頓が苦手な人は多い。
心の整理整頓に繋がることでもある。

「表・裏・横」から見れば、誤った判断はしない

人は、物事を見また判断をするときに、自己中心になりがちである。
そこで、私は常に「表・裏・横」から見て判断することを勧めている。

たとえて言えば、自分の主張や意見を「表」
相手の反対意見を「裏」
それぞれの主張や意見を第三者が客観的に見、判断したらどうなるかを「横」とするのである。
自分自身がこのように判断して行けば、少なくとも判断に過ちを生ずることはなくなるであろう。

政治を司る人達も、 自分の主張と相手方の言い分を比較検討し、国民はどう見るかを常に考えて行けば、もっともっと世の中は良くなるのではないかと思うのだが。

企業においても、社長派と専務派とか、常務派などの意見の相違は、他の企業なり、一般の人達がどう受け取るかを常に配慮して行けば、判断に狂いはなくなるはずである。
人は往々にして、目先の議論に捉われがちであることに留意すべきである。

「和を以って貴しとなす」の真髄は

易の考えで、『相生相克(そうじょうそうこく)』という言葉がある。
木火土金水(もっかどごんすい)と言われ「相生」として、互いに生かしあう関係と、「相克」として相手に勝とうとして争う関係があるとされている。

たとえば火に水をかければ、火は消えてしまう。
木は、土からは栄養をもらうが、火には、燃やされてしまう。
しかし、こうした見方で物事を見ると、
すべてが「敵か味方か」ということになり、 相手の「火は消してしまえ」、「木は燃やして何一つ残さないようにしろ」、
苦手な相手は、自分が戦うのではなく、
それを苦手とするものと組み、その人に苦手な相手を倒させよということになる。
火を目の前の燃える火だけと捉えれば、木は燃やされてしまい、近づかない方がいいということになる。
火事は、もちろん消さなければならない。
だからこうした話をすべて否定するのではないが、
日本に昔から言われている「和をもって貴しとなせ」
という観点から見たときに、どういう受け取り方になるだろうか。

火と水の接点は、湯である。その湯にゆったりと浸かって、一日の疲れを癒すことも出来れば、蒸気やエネルギーとして使用することも出来るのである。
そこにはなんら争いとか争うという考えはない。

しかもわが国は、単なる和ではなく、大いなる和でなければならないとして、『大和の国』と称されたのである。
その精神は、現代の世の中にいかに受け継がれているのであろうか。

経営者と労働者は、あたかも相克のように対立し合い、経営者は搾取するものとして、賃金や労働条件の確保に努めようとする。
こういうと、「そのどこが悪いのか」と言われそうだが、もう少し待って欲しい。

また政治においても、与党と野党は相対立するものとして、互いに相手をそしり、足の引っ張り合いをして、ひきずりおろそうとしてはいないだろうか。
与党からも野党からも、「それが俺たちの立場だ」と言われそうだ。

しかし、こうした対立概念のところで育った考え方と、上に立つ者は下の者に対して慈愛の心で接し、下の者は上の者に対して敬愛の念を持って接してきた、いわば徳政のもとに育ってきた日本人にとって、こうした対立概念は合わないのである。

『和を以って貴しとなす』精神は、互いの立場から切磋琢磨して、よりよい国政を敷くことにあるはずで、相手をやっつけるのが本意ではない。
経営者も労働者も、はたまた与党も野党も、日本人ならば本来の日本人に立ち返って、いかに日本という国を蘇らすか、また日本国民の健康と幸福を願い、確保するかに専念して欲しいものである。

相手のために、相手の立場に立って

現代に生きる私たちは、自己主張をすることに汲々としてはいないだろうか。
それだけ世の中が世知辛いのかもしれないが、日本人の本質的な生き方としての『思いやり』の精神が置き忘れられているように思う。
また、相手のためによかれと思ってしている方も、結構おられるように思う。
しかし、それが思いもよらぬご迷惑をかけていることがある。
私の父が家を建てたとき、親戚の者が勝手に欄間を頼んでしまい、父としてこういう欄間にと思っていたものが出来なかったことがある。
こうしたことは、一見親切なことのようであっても、いわゆる「小さな親切、大きなお世話」の部類になってしまう。

ただ「相手のために」というだけではなく、「相手の立場に立って」考えることが大切なのです。
企業間の取引でも、労使間の問題でも、この二つの視点から見ていれば、ほとんど解決出来るはずです。

経営者は労働者の立場に立って、自分なら賃金の問題か、労働時間の問題か、その他の労働条件の問題かを考えれば、労働者の立場に立っての考え方が出来るであろう。

また、労働者も自分が経営者なら、現況以上のことが出来るだろうかと考えれば、自ずと感謝の気持ちになるだろうし、それ以上のことが出来ると思えば、事業に対する改善提案をすればいいということになろう。
要は、互いに対立するのではなく、和の精神を中心に据えつつ、お互いに相手のためを思い、相手の立場に立って行うことである。
そこで、相手の立場に立ってすることが、大きく時代をも動かした話を紹介しよう。

山岡鉄舟が幕府を代表して、単身駿府の西郷隆盛のもとへ赴いて交渉したとき、西郷は大総督宮へ取りついで

  1. 城を明け渡す
  2. 城中の人数を向島へ移す
  3. 兵器を渡す
  4. 軍艦を渡す
  5. 徳川慶喜を備前へ預ける

以上の五箇条の条件を出されたとき、「謹んで承りました。しかし、最後の一か条だけは、どうしてもお受け致しかねる」と、頑として拒否し、西郷の再三の「朝命でごわす」の言葉に対しても、「たとえ朝命であっても、承服できませぬ」と突っぱね、「あなたと私の立場を換えてお考え頂きたい。

かりにあなたのご主君島津公が朝敵の汚名を受けて官軍に攻められ、ご主君は恭順・謹慎されているときに、
朝廷から『主君を他の藩へ預けよ』
というご命令が下されたとしたらどうなさられるか。

あなたはそれをお受けして、 すぐにご主君を差し出し、自分は安閑として傍観しておられますか。
君臣の情、あなたの義はいかが。
只今の慶喜へのご命令は、
鉄太郎決してお受けするわけには参りませぬ!」
と言い放ったのです。

しばらくして西郷は、
「あなたの言われることは、まことにもってごもっとも、よろしい。慶喜殿のことは、この吉之助がきっと引き受けて取り計らいましょう。ご心痛にはおよびませぬ」
と言って、これに応じたという。

立場を換えてみれば、その心情もよくわかるというものである。
これによって、無血のまま明治維新はなったのである。

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