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大志塾コラム

大願成就を願う経営者に大志塾が伝えたいこと

経営者としての自己成長

2018.08.23

大志塾コラム「経営者としての自己成長」

財産には眼に見える財産と眼に見えない財産がある

世の中には眼に見える財産と、眼には見えない財産がある。
眼に見える財産、お金や土地やその他いろいろな物は、財産が目減りしたことに、すぐにも気がつく。

しかし、眼に見えない財産の目減りはどうだろうか?

先見性、判断力、決断力、統率力、そして信用・・・
眼に見える財産を生かすもつぶすも、この眼に見えない財産の力によるものが大きい。
親は、目に見える財産、形あるものを子に譲り渡してあげることは出来る。
しかし、どんなに親が子を思っても、眼に見えない財産をそのまま譲ることは出来ない。
本人が目に見えない財産のことに気がつき、そこに目を向けたときに、初めて発動するのである。
「気づき」が自分の中で生まれるかどうかは、目的の持ち方と真剣さ、そしてその積み重ねから生まれるのである。

命の尊さを知らずして、経営者の資格なし

「世の中を改革するには、まず教育から」と誰しもいう。

人として生きるのに、何が大切なのか。
「何をしなければならないか」、
そして「何をしてはいけないか」が置き去りにされた教育改革など、
机上の空論に過ぎない。

花でも虫でも、おしべが何本、めしべが何本、
足が何本などという知識ばかりが先行し、
そこに命が宿っていることを教えていない。
すべてのものには命が宿っているということを感じずに、
面白くなければあたり散らす。人を死ぬほど追い詰める。
単なる知識だけでは、人は育たない。身体だけ育っても、心や魂が育たない。

「自分がされていやなことは、人にもするな」
そして「命の大切さがわからないものは、教育にも、経営にも、政治にも携わるな」と言いたい。

まず「命の尊さ」を知ることから、すべては始まる。
人の世界である以上、人の命が原点なのだ

人を見極めるポイント

人はどうしても、その人を見るときに、現れた結果だけを見る。
プロフィールを見るにしても、その人の経歴、肩書きだけに目を向けて、 一番大事なところに目を向けない人が多い。

しかし大事なことは、その人の基盤となっているものに目を向けることだ。
その人の考え方の基本は何か、土台はどんなものかを、見ること
が大切だ。
何がその人の土台となっているのだろうか。
もしその土台が、人を踏みにじっての恨みの上に建っているものならば、遠からず土台から崩れるであろう。
時代を先取りし、躍進しているように見えても、腐った土台から大きな柱は立たないものだ。

今までの経営者で、一世を風靡したかに見える人でも、それが当てはまる人がどのようになっていったかを冷静に見てみることだ。
腐った土台が崩れるのが、早く来るときには、まだ軽いものだか、「あれだけひどいことをして、すごくうまくいっているじゃないか」と思える人がいたら、要注意だ。
結果が出るのが遅い人ほど、出て来たときには大きな崩れとなって現れる。
下手をすればそれに追随していると、雪崩に引き込まれるように、自分のところも土台から崩されることすらある。

いい出会い、いい縁に合う自分になるには?

新しい人材を入れるときや、もろもろの出会いはそのときの経営者なり、人事と波長のあった人が来る。
したがって経営者が身体を壊し、体調だけでなく、心が低迷しているときには、会社を発展に導く人との出会いは難しい。

仕事は、時には損を覚悟で、あるいは利を薄くして、余り見返りのないことと承知しながらも行わなければならないときがあるが、それを乗り切り、前に進ませていくのは、人の力だ。
どんなに時代が変わろうと、機械化が進もうと、その基本は変わらない。
むしろ機械化が進んでいるからこそ、人の能力がより問われる時代となっているのではないだろうか。
機械では決して代わることの出来ない人の力、それを持っている人は、多いようで少ない。

躍進に繋がる人との出会い。
その貴重な出会いを生かすことが、出来ているだろうか。
それを感じ取れる感性と誠意がなければ、目の前にいても通り過ぎてしまうだけだ。
そのためには自分を磨き、育てることだ。
釣り合わない時には、仮に素晴らしい出会いがあったとしても、縁は生まれない、また自分からドブに捨ててしまうことになる。
よい人材、また発展に繋がる人と、縁を持てる自分に育つことが大切ではないだろうか。

「人の為に」と思うほど、眼は開かれる

人と異なることをしようと思うと、必ず反対にあう。
公務員でも「大過なく勤め上げ・・」ということ、前任者通りということが、物事をすんなり通す秘訣でもあり、処世術だと思っている人が多い。

しかし今まで時代をリードしてきた人たち、成功者と言われた人たちは、皆今までの殻を破り、時には常識を塗り替えて、新たな事業を開いてきたのである。
人と同じことをし、人と同じ目線で世の中を見ていたのでは、決して時代を導くことなど出来はしない。
一歩も二歩も先を見なければならず、全体の中の位置づけにも留意しなければならぬ。

まずは自分の眼を開くことである。
活眼を開くというが、その活眼はいかなる眼であろうか。
肉眼の目か、心眼の目か、霊眼の目か、神眼の目か。
まずは、肉眼の目から開くほかあるまい。
その一番の秘訣は「人の為に」と思えるかどうかである。
自分の繁栄だけを考えている時には出てこない発想が、「世のため、人のために」との思いですると、飛び出してくるようになる。
昔から『大所高所より物事を見、考えよ』と言われてきたのも、こうした点があるからである。

危機を乗り切れる経営者とは?

平穏な時には、誰が行ってもそこそこに出来る。
しかし嵐や危機に直面した時に、それを乗り切ることは、誰にでも出来ることではない。それは、企業も国も同じである。

終戦後の荒廃の中でも、今までに高度成長だ、大不況だ、バブルだと、いろいろな時期を乗り越えてきた。
しかし、最近は相手をやっつける為だけの議論が多くはないだろうか。
目の前の人をいくら議論でやっつけて勝っても、中身が国民の幸福に繋がるものでなければ、何の為の議論か意味がない。

いざという時には、命をかけても行うという決意と力量が必要である。
今あるいろいろな政治家育成の場を批判するつもりはないが、金をもらいながら勉強するというのでは、平穏無事のときの舵取りはできても、嵐の時に耐え得るであろうか。
やはり学びの時から、全財産をはたいてでも、国家のためにという気構えが必要なように思う。
人は、誰でも自分がかわいい。
だから、ある所から先は自分のために残そうと思うものである。
しかしいったん腹を決める時、すべてをかける覚悟の上で行う時と、一部守り、つまり逃げ道を残した上で進む時とでは、ヒラメキやいざと言うときに発揮できる力に大いなる差が出ることを知らなければならない。

運の上昇気流に乗るには?

成功した人は何らかの運を生かし、波に乗って事業を大きくしている。
成功した人の話の中には、「自分は運が良かった」という話を聞く。
そして「自分は、この時期に急に上昇気流に乗ったように、事業が大きく上向いたのです」といわれる人が多い。

たこ揚げと同じで、はじめは自分の足で走らなければならなくても、あるところまで昇ると自分が走らなくても、押し上げてくれる力と出会うことがある。
そして思いもかけずに事業が大きく上向くことがある。

しかし、上昇気流を待っていつまでも、最初に走り出すことをしないと、その上昇気流さえつかむことは出来ない。
はじめは飛ばしたい凧が、走っても走っても、地面をはって上に登らない。
しかし諦めないで、走り続ける。
凧を飛ばす努力をし続けたとき、上昇気流と出会うことが出来るのだ。
上昇気流に乗る前には、必ず運を引き寄せる努力が必要なのです。

人がこの世に生まれてくる意味

人が生きる原点は、現代社会で言われているような自由ではない。
なんでも自由という考えのもとに過している者にとっては、なかなか理解し難いであろうが、人が生まれる時を、自分で選ぶ自由はない。
昔から、「わからなくなったら、原点に帰れ」と言う。
命を与えられた原点に返り、どう生きるかを、そこから見つめていくべきではないだろうか。 人の命、寿命を『天命』と言う。
「天から、与えられた寿命」という意味だ。
そして、もう一つの意味は、「天から命じられた(託された)使命」という。
この二つをもって天命と言う。
人が自分の意志で生まれてくることが出来ないように、死ぬときも勝手に決めることは出来ないのだ。それが天命なのだ。
この与えられた寿命の期間内に、いかに使命を果たすかが大切なのである。
これが、人がこの世に送り出されてくる意味なのだ。
『教育とは、魂を磨くこと』というと難しいことのように受け取る人もいるが、生きている間に、どう世の中に貢献するか、自分の与えられた使命を果たすかということが大事であり、それが出来るように自分を磨くということである。

そのための教育こそが、なされるべきである。

自分の本当の声には、莫大な力が秘められている

人は、大人になるほど夢がなくなるという。
生活のため、社員のため、会社の命令をはじめとするいろいろなしがらみで、がんじがらめに感じてくる。

しかし、精神を柔軟にしておくことは、大事なのだ。
新しい発想や、大きな飛躍のヒントに繋がる。
一度、心の枠をはずして自分を見つめてみたらどうだろう。

生活のことや損得、見栄や外聞といった、日常縛られているかもしれないものから自分の心を開放してみたら、思いもかけない自分の本当の声が聞けるかもしれない。

これを一般に内観と呼ぶが、自分の心をいつわらず、金銭のことをはずして考えるだけでも、今まで見えなかったものが見えてくる。

「本当は、何がしたいのか?」
「今の時代に、自分は何をしなければならないのか?」

問いかけをしなければ、自分の心の奥底にあるものは答えてくれない。
自分が生まれてきたのは、何のためだったのか。
一度、金銭や損得を頭からはずして考えよというのは、人が生まれてきたときは、損得ではないからだ。

自分の本当の声には、自分自身も信じられないような力が秘められている。

自分は、時代をつなぐ大事な存在

今の世の中を、このままでよいと思っている人はほとんどいないであろう。
自分がこのまま、生涯をかけて仕事に打ち込み、その成功を収めたとしても、わが子の世代に本当の幸(さち)を残してやれるだろうか?

人の幸せは、健康であること。
対人関係に恵まれること。
打ち込める仕事があること。
そして、物質的な成功。
など、色々な角度からの観点があるが、自分たちの住む土台となっている社会そのものが腐りきってしまった時は、いかがであろうか。
その社会に住んでいる以上、自分だけ、あるいは自分の家族だけはその影響を受けないで、 平穏に過すということなどは出来ないのだ。

今、自分が、なすべきことは何なのか?
子孫に残せるものは何なのか?
人は誰もが、時代を繋ぐ大事な存在なのである。

親や祖父母、さらには自分のルーツである先祖から、自分を通して、何を子孫に繋ぐのか。
何か一つでもいい、生きる証としてこれを成し遂げた、これを次の世代にといえるものを、目指すべきではないだろうか。

「自分一人くらいが頑張ってみても、どうせ世の中なんか変わりはしない」
と諦める人が多ければ多いほど、世の中は加速的に悪くなってしまうのだ。
一人ひとりの力は微力でも、みんなが「せめて自分だけでも、次代のために、子孫のために頑張ろう」という思いになったとき、世の中自体が変わるのだということに思いをはせていただきたい。

人は誰しも、そうした役目を持ってこの世に生まれてきているのだ。
たとえそれが、ねじ釘一本ボルト一つの小さな役目であっても、その役目を果たさなければ、本来繋がるべきものが繋がらず、ばらばらになってしまうのだ。
世の中は、こうしたことの寄り集まりになって成り立っているのだ。

経営者ほど、人のために生きる

人は、そのままだと赤ちゃんの頃から自分中心に生きている。
しかし成長するにつれ、人のために尽くすことを覚え、実践し、心が成長していく。
人は、本来「自分は人様の役に立っている。
世の中の役に立っている」、あるいは「家族の役に立っている。
自分は人から頼られている。求められている」という思いが、生甲斐になっている。
「人が喜んでくれることを楽しむ」と言うか、自らの喜びとする人は、人生としての生甲斐を感じられる人です。
人は、本質的に「人のために尽くす喜び」というものを持っている。
それは『人』と言う字が示すように、人はお互いに助け合い、支えあって生きていくようになっているのだ。

これが本来の日本人の生き方であった。
しかるに戦後教育によって、「自分さえ良ければよい」という考え方に、百八十度転換してしまった。
他人のことには一切構わず、自分さえよければそれでよいとの考え方が、蔓延してしまったのだ。

本来は、家族のためであってもいい、隣人や友人のためであってもいい、自分以外の人のために尽くすことに喜びを感じていた日本人が、自分さえよければそれでよしとする考えに変わった根本はなんだったのか。

それは、「正しいかどうか、人の役に立つかどうか」という価値基準が、「損か得か、儲かるかどうか」に変わったところにある。
一般的に言えば、「それをしたら、どれだけ儲かるの」という感覚である。

所詮、人の世は、社会という人の集まりによって成り立っているのである。
その世の中を住みよくするか、悪い世の中として不安と混乱の世にするかは、その時代に生きる人々の考えの集合によって決まるのだ。

経営も同じだ。
人様の役に立つものを製造するなり販売するなりすれば、おのずと繁盛するのである。
何をもって社会や国家に貢献するかが大切なのである。
ただ儲けようとするだけでは、一時的には栄えたように見えても、長続きはしないのである。

人生の浮き沈みを活かす生き方

人生には、浮き沈みがある。
浮上しているときには、まさに浮かれて有頂天になったような生活をしがちである。
反対に沈んでいるときには、人のせいにしたり、世の中を恨んだりしがちである。
そのようなことのために、浮き沈みがあるのだろうか?
あるときある方が、伊藤博文公に「あなたは、あなたのお力で、総理になられたと思いますか」と尋ねられた。
伊藤博文公は、当たり前ではないかという様子で、 「そうだが」と答えられた。
するとその方は、「では、なぜ最後まで総理でいなかったのですか」と問われて、答えられなかったのです。

人に浮き沈みがあるのは、
浮上しているときにはどれほど国民のことを思い、
また国民のために施策を行うかを見、
沈んでいるときはその間に次の機会までに、
どれほど学び備えるかを見るためなのです。

これは、各企業の経営者にとっても同じことが言えるし、各人の人生を考える上においても同じことが言えるのです。
「いいとき三年、悪いとき四年」人生に浮き沈みがある。
だからこそ、いかなる環境・境遇をも、自らの手で変えることもまた可能なのだと。

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